カリカリクポォ~!

24日に植えた植物、見に行ったら「はわわ…枯れちゃったくぽ~♪」だそうです。お前も東京湾に沈めてやろうか、白豚♪

もう今週以降は家族も休みということで、FFは深夜にできるかできないか程度になってしまうと思います。とりあえず、明日も日中は外出します。というのも、CDを買おうとしたら、生協の人に「3枚以上で割引率アップ!」を薦められたからなんですが…別に他に欲しいCDないんだけどなぁ…。CDを注文しに行くついでに映画を見るか、はたまたTSUTAYAに寄るか…これも迷います。

昨日、帰りの電車で思ったことを、ちょこっと。

まぁ、考えをまとめたいんだけど他に書く場所がないからここに書くのであって、決して面白い話ではないのですが…というか見ないほうがいいかも(笑)。

何かというと、誰しも「自分の人生をやり直せたら…」と思ったことくらいあると思うんですが、実際過去に戻れたとして、人生やり直せるんだろうかということ。

私は、やっぱり同じ過ちというか、同じ選択を繰り返して、同じ現在に至るんじゃないかと思う。というのも、その選択をしたのには、それなりの原因(”理由”も含め)があったのだろうから。言い換えれば、その選択が数ある選択肢の中で、その当時の自分が最も選ぶ確率の高いものだったであろうから。例えば、私は今まで人を好きになったことはないけど、もう一度人生やり直しても恋人は作らないだろうと思う。なぜなら、今までの環境、特に家庭環境を振り返ったとき、私が恋をする人間になるとは思えないし、たとえ恋したとしても、告白するほど度胸のある人間にもならなかっただろうから(別にそんなシリアスな環境だったというわけではないですyp)。

こうしていろいろと考えてみたら、人が内面に抱え込む問題は、(先天的なものによる場合もあるけど、)後天的な環境によるものの方が遥かに多いように感じた。むしろ、遺伝的な要素による場合以外は必ず、人間の外部の環境が、内部の反応を形成してる。とすれば、誰かの異常な行動を考える場合、原因となった環境を想像しなきゃならないはず。

「こんな当たり前のことを並べてなんなんだ!」と思われるでしょうが、これは凄く大切な点だと思います。特に、ニートとかネトゲ中毒などのように、同時多発的な社会的規模の問題を考える場合は。少なくとも、全ての原因を本人に帰着させるのは間違っているし、それは周囲の責任逃れでしかないと思います。

例えば、ネトゲには中毒性があると私自身も思いますが(笑)、中毒にならない人が少なからず存在する以上、ネトゲだけに問題があるのではないとも思います。そこには、他の社会規模での問題(特に家庭での問題)が潜んでいる可能性があるのではないでしょうか。人と人との交流の欠如、あるいは日々のルーチンワークによる刺激不足、といったような。

もしそうならば、仮にネトゲを駆逐したり、ニートを強引に定職につかせたりしたところで、原因を放置したままなのですから、また別の新たな問題が起こるだけのような気がします。

自分でも何が言いたいのか分からなくなってきたから終わり。というか自分の弁解以外の何物でもないように思えてきた(汗)。なんか途中から丁寧語になってるし。

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