邪悪ナ、邪悪ナ。

今日は家族でミュージカル『ウィキッド』を見てきました。いやー、よかったよ!!
知らない人のためにおおまかな作品紹介をしてみるとですね。これは『オズの魔法使い』を題材にした作品で、オズの人々の”魔女退治までの前日譚”を描いてるんだよね。もちろん、こんな裏話はオリジナルの『オズの魔法使い』にはないので、完全に後付けの創作なんですけど(もちろん原作だって創作だけどね)。
…うーん、なんか私の説明が凄く薄っぺらいなぁ。言い方変えよう…あまりにも単純かつ美化された『オズの魔法使い』の世界を、「実はね…」という形で、もっと現実的で生々しい人々の世界として翻訳した作品っていう感じです。まぁ、いろいろな含蓄や暗喩があって、奥が深い感動的な作品でした。
実は、NHKの『あしたをつかめ 平成若者仕事図鑑』という番組中で、この作品の主演の座を手にした若手女優さんが、役作りに苦しみつつも主役を演じ切るまでの道のりが放送されたことがあります。役を掴み切れずに苦しみ、得意の歌さえスランプに陥りつつも、最後には登場人物になりきって思わず涙を零す…。今日はその方の出演ではありませんでしたが、おそらくどの俳優さんもそういった苦労をして、手探りで『ウィキッド』の世界を作り上げようとしているんだと思います。
今日はまだカーテンコールが、こういったミュージカル誕生の瞬間にしかない瑞々しい真剣さや歓びに溢れていました。こういうのってどうしても徐々に色褪せてしまうもんだと思うので、興味のある方は是非、今のうちに。

ネタバレと拙い感想文は続きでヨロ。

Pahya Lolohoiv:この世界にあるものはすべて、
 善でも悪でもないよ。ただ、あるべきものが
 あるべき場所にないと、それが悪と呼ばれるの。

…全然関係ないセリフからスタートしてみた(笑)。いや、これはカザムのM&Pマートにいる、パヤさん(ちなみに私と同フェイス)の御言葉なんですけどね。これが何を言っているのか、なんだか気になっちゃって、一時期いろいろ考えたことがあったんですよ。まぁ、もちろん中の人が何も考えずに喋らせてるって可能性もあるんだけど(爆)。え、中の人?田中プr…いや中の人などいない!!
で。私は今のところ、こう解釈してます。この世には絶対善や絶対悪など存在しないのだと。ただ、結果として人々の期待に沿ったものが善となり、期待通りにならなかったものが悪となるのだと。
ここで『ウィキッド』の話に戻るのですが。元々の『オズの魔法使い』では、南の良い魔女や西の悪い魔女といった絶対的な善悪が描かれていたわけですけど、この作品はそういった見方に「本当?」という問いを投げかけています。人間の性善説や性悪説に疑問を投げかけてる、って言い方でもいいかもしれませんね。
自分を信じて強く生きるエルファバ、人々との幸せの共有を望むグリンダ、そしてその他多くの人々の生き方。おそらく彼ら自身の生き方は、どれ一つとして、それ自体では善でも悪でもないのだと思います。ただ、そこから生じる結果が、オズの世界の価値観や私たちの価値観に照らして、”善”あるいは”悪”と判断されているに過ぎないんじゃないんでしょうか。…現実はシビアだね。結果しか問われないから。
話は変わってしまうのですが、この作品には2人の魔女が少女から大人になるまでの、いわゆる青春時代が描かれています。特に序盤の魔法大学のシーンでの2人は、「あぁ、ウチの研究室にもこんな人いるいるwww」という感じで面白かったです(笑)。それはさておき。卒業後、2人はそれぞれの道を歩み、結果として友情を引き裂かれることになります。一方は「自分の理想を追う」ことを求めて、そして他方は「人に愛される」ことを求めて。私の研究室の卒業生の方が、「人間、結局は自分のために生きるか、人のために生きるか、どっちかだからねぇ」と言っていたそうなんですが、この2人の生き方がそれを物語っているような気がしました。どちらも両立することはとても難しい。周囲の期待よりも自分の信念を大切にして生きるか、自分を殺して周囲のために生きるか。おそらく誰もが思春期に直面してきた問題なんだろうね。私はそれが今なわけだが。
ちなみに、M&Pマートの別のミスラさんは、こうも言っています。

Toji Mumosulah:生き物、死ぬ時は死ぬし、
 生き残る時は生き残る。それでも、生きるための
 努力を怠ったら、バチが当たるよ!

…勉強するかー(笑)。

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