過ちは正すに如かず。

すみません、お詫びして訂正いたします。

うおっ、鳴るじゃん!

ハープシコード、鳴りました。ごく短いメロディで、ヴァナ時間で22時だけ演奏してくれる時報程度のものだけど…それでも鳴ることには変わりません。「壊れたピアノ」なんて言って、ゴメンナサイ。
…これを見ていると、自動演奏楽器っていうのを想い出します。オルゴールじゃなくって、ピアノとかオルガンで自動で演奏するやつがあるんですよ。まぁ、どちらも同じように娯楽目的で作られたのでしょうが、充実な演奏の再現を望む作曲家や、自分の演奏を永遠に遺すことを望む演奏家が、敢えて自動演奏という形に残すこともあったとか。
以前に『UKAI河口湖 オルゴールの森』って博物館に行ったことがあるんですが、そこにはタイタニックに載せる予定だったオルガン(本当か…?)や、有名なピアニストのタッチを再現するピアノをはじめ、いろいろな自動演奏楽器があって、とても印象的でした。もし富士山方面に行くことがあれば、寄ってみても悪くないと思いますよ!

自分の冒険者ポリシーについて、前編。

今日は、彗星に照らされる東サルタバルタで、自分の生き方について反省してみた。ていうか、レベル上げの誘われ待ちが退屈だったんで、その暇つぶしだったんだけどさ(笑)。それで、今日と明日は、そのことについて書いてみたいと思うんだよね。ていうか、どうせこのブログ、誰も見てないよね?いや、ひねくれてるとかじゃなくて、だからこそここに書けるわけなんだけどさ。あんまり多くの人に読まれても困るんだけど、でも誰の目にも晒されないってのもやっぱりダメなんだよ。
それで、そのうち今日は、自分の生き方のポリシーについて書いてみたいと思っています。これは、私が自分の生き方の基本にしていて、HPにも載せていることなのですが、それをもうちょっときちんと文章にしてみました。私が、生きていく上で絶対に守らなくてはならないと思うことなんです。

一、よい子は一人でも泣かない。

誰しも、他の誰かに寄生して生きることなど許されないと思う。なぜって、それを認めてしまうことは、「ヒト」という種の存続を脅かすことだからなんだよね。だって、誰も自活しなくなったら、社会というか、この世界が崩壊しちゃうじゃん。もちろん、子が親を頼ったり、苦しむ人々が支援を求めたりすることを、全く認めないということじゃない。ただ、人は可能な限りにおいて、自力で生きていかなくてはならないよね。
他人にとっての「あなた」は、多くの場合、残念ながら置換可能な存在にすぎない。それが悪いというんじゃないよ?そうでなくては、この社会は成り立たないし、誰しも生きていけなくなってしまうから。例えば、ある人が亡くなったとき、もし周囲にとってその人が本当に「かけがえのない存在」だったなら、以後、その人たちは生きていけないことになってしまうじゃないか。だから、この世界では、誰もが置換可能な存在だし、そうじゃなきゃいけないはずなんだ。これがこの世界の原則になっているはずだよ。
これはあんまりいい感じには聞こえないけどさぁ、でも逆にいえば、誰もが「かけがえのない存在」としての重荷を背負わずに済むということでもあるんだよ、きっと。「あなた」が失敗しても、他の誰かがそれを補ってくれる、他の誰かが代わりになってくれる―そう思えば、心の重荷を背負わずに済むんだよね。もしかしたら、これを読む人の中には、重荷に悩み、苦しんでいる人がいるかもしれない。でも、こう考えれば、もっと気楽に、失敗を恐れずに生きていっていいと思えるんじゃないかね?…いや、なかなかそう思えない私が言えたもんじゃないんだけど。

一、文武両道。

現代社会では、人はどうしても「アタマ」ばかりで生きることになる。「脳筋」なんて言葉があるくらい、頭脳こそが人間の中心だって考えられている。要するに、「アタマでっかち」に陥りがちだよね。
でも、本来の「ヒト」は、あくまで動物で、「生きている」存在じゃないか。だったら当然、肉体を無視して生きていくことなんてできないし、そうしようとするのも間違いだ。肉体と精神は独立した存在じゃない。相互の関係があって、はじめて「人間」が成り立ってる。
だから、人は動物としての肉体を大切にしなくてはならないと思うんだよ。学び続けなくてはならないのと同じく、体を鍛え続けていかなくてはならない。頭と同じくらい、むしろそれ以上に大事にするべきだと思うんだよ。

一、夢と責任を背負って頑張る。

今という時間は二度と戻ってこない。今という時間は取り戻せない。そう思うとき、自分の夢を最初から諦め、そして後悔するくらいなら、まずは挑戦し、最後まで諦めずに戦って、無残な屍をさらす方がいいんじゃないかって思う。
最初に書いたように、ある日突然「わたし」がいなくなっても、それによって世界が崩壊することはない。しだいにその穴は埋められていくんだ。だからこそ、自分の夢は大切に抱えて、逃げることなく、死を恐れずに、限界まで戦っていくことが許される。夢を追うには、それを大切に抱える権利と、それに伴う責任も負う義務がある。その価値があるなら、その夢を抱えて、精一杯に走り続ければいい。

一、すべてのチルドレンにありがとう。

あなたは、今まで「ずっと生きて」きた。いろいろな人に支えられ、いろいろな人に傷つけられて生きてきた。良い意味にせよ、悪い意味にせよ、そういう人たちとの関わりであなたは生まれてきた。今のあなたは、そういう人の存在なしには、成立しえないものだ。
時には無償の愛情を注いでくれたかもしれない。時には反面教師として、あなたに深い爪痕を残したかもしれない。それでも、家族、友達、知人、同僚…そういう人たちに、感謝をわすれないでほしい。

これが、私の基本ポリシーなんだよね。むしろ、これは誰にでも言えることだと信じてます。
で、具体的に私が何をしたいのかって言われると、困ってしまうんだけど。一般的だってことは抽象的だってことだからさ…。ただ、そこが今の私の悩みの本質なんだよ。それは明日、書いてみるつもりです。

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