トキの向こうに

お待ちかね、「プロフェッショナル 仕事の流儀」で宮崎駿スペシャルが放送されました。のべ数百日という地道な取材内容を、淡々と、しかし忠実に伝えようとするドキュメントに仕上がってる印象。かなりいい番組でした。あんまり”意味”は込められていないけど、その分だけ宮崎氏のスタイルはよく伝わってきた。
宮崎駿は、人に喜んでもらえることが好きらしい。「自分の作品で人が笑ってくれると、これで全てが報われるんだなぁと思える。自分がいてよかったんだなぁと思える」という言葉が引っかかった。…仕事というのは、こういうことなのかもしれない。それをやることで、自分の存在が肯定されると思えること。それがきっと仕事なんだろう。
先輩の先輩が「人生なんて、人のために生きるか、自分のために生きるかのどっちかなんだよ」って言っていたらしいんだけど、こう解釈できるんじゃないかな。つまり、自分の欲求を満たすことが自己肯定になるか、他者に評価されることが自己肯定になるかって。実際には、両方のバランスの中で働いている人が多いんだろうけど。

再放送を待ちきれない自分のために要約。

番組の意図する通りに見てるんで、必ずしも核心を突いていないかもしれないけど、宮崎駿さんの人生はこんな感じっぽい。

宮崎駿は裕福な家庭の二男として生まれた。しかし、自分自身が病弱だったうえに、母が結核(脊椎カリエスかな?)に侵されてしまい、十分に母の愛を受けることができなかったという屈折した思いから、劣等感の塊のような存在になってしまったという。そんな彼の心のはけ口となったのが、マンガ、そしてアニメーションだった。
東映動画に進んだ彼はその頭角を現し、ついに『カリオストロの城』の監督にまで登り詰める。このとき、宮崎は「やっと自分がいていいんだという居場所を見つけられた」と感じたという。しかし、当時はSFアニメの全盛期。完成した映画は興行的に失敗し、それ以降、監督のオファーは来なくなってしまう。
それからは長いトンネル時代。自分の作品を売り込んでは、あっさりと断られる毎日が続く。「このままくたばるのはいやだなぁ」と思いつつ、時間だけはあるという状況下で『風の谷のナウシカ』の連載がスタート。そして、これが映画化され、当時の社会心理に合致したこともあり、大ヒットを収める。…以下略。

なんか、宮崎作品の特徴が少しわかった気がします。『ラピュタ』のドーラおばさん、『トトロ』の姉妹の母、『ハウル』のソフィーは、どれも宮崎駿の母が形を変えて現れたものなんだって言ってた。主人公は女の子であることが多いけど、あれは対象化された不特定の「子ども」一般なんだろうね(こっちは番組内で言ってないけど)。
ちょっと思ったんだけど、幼少時の経験って、一生引きずって行くものなんだねぇ。まぁ、幼少時に限らないのかもしれないけどさ、でも幼少時の経験だけは”無意識”に沈んで残り続ける感じがするよね。だとしたら、人はそのころの自分を超えてはいけないのかもしれない。超えてしまったら、自分ではなくなってしまうんじゃないだろうか。

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