札幌の人のパーソナルスペースの狭さ。

札幌に引っ越してきて1ヶ月くらい経った。ここで、私が街中を歩いていて未だに慣れない…というか率直に言ってフラストレーションに感じていることがひとつあるので書いてみたい。それは札幌の人のA.T.フィールドの狭さだ。

つまりはパーソナルスペース(他人に近づかれると不快になる距離)のことなんだけれど、これが札幌の方は非常に狭いなと思う。あるいはA.T.フィールドが狭いのではなく、A.T.フィールドに入り込んだ赤の他人には無関心というだけなのかもしれない。電車の中でも、繁華街でも、ちょっと私にしてみれば「ありえない!」と感じてしまう近さまで平気で入ってくる。雑踏ならまだしも、閑散とした道ですら至近距離(すれ違いざまに風を感じる距離)を通過されることが少なからずあって、凄く圧迫感を感じる。「袖触れ合うも他生の縁」とかいう言葉があるけれど、そんなこと言ってたら縁だらけになるんじゃねーかってくらい赤の他人と袖が触れ合うことが多くて、潔癖症な私としてはかなりストレスが溜まる。

また、おそらくそれとも関連するんだろうけど、凄く近いところで何かするときに声をかけてくれないのも気になっている。例えば、うっかり気づかずごみ箱の傍に立っていると、ツカツカっと無言で近づいてきてゴミを捨てる(今日なんてベチャベチャした生ゴミを放り込まれて「!!」ってなった)。商品棚の前でいろいろ選んでいると、とつぜん目の前にぬっと現れて商品を取っていく。どっちも気配りの足らない私にも非があるけど、だからといって、突然無言で寄ってこられると不気味で怖い。「すみません」とか一言でもかけてくれれば、こちらも「あ、ごめんなさい」と身を引くわけで、お互いにコミュニケーションが成り立つのに。逆に、こちらが道を開けてほしいときとか、電車でもうちょっと詰めてほしいときに「すみません」と声をかけても、やっぱり動いてくれないので、もともとそういう習慣がないのかもしれない。

他の人がどう感じているのか分からないけれど、家族にこぼしたときにはみんな同じことを思っていた。でも私は、これについて(少なくとも家族以外には)不平不満を言うつもりはない。言う勇気もないし、そもそも文化の違いに過ぎないと思うので、言う筋合いもないから(おそらく札幌の人にしてみれば「なんでそんなこと気にするんだ!?」って話なんだろう)。けれど、いくら後天的なものとはいっても、パーソナルスペースって「生理的に無理」という感覚を引き起こすものだし、せめてなんで札幌の人はA.T.フィールドが狭いのか?そもそも本当に狭いのか?当の本人はどういう意図なのか?てなことを知りたいのだ。

自分でもいくつか理由を考えてはみたけれど、どうもしっくりこない。他人に興味を示さない、というだけならモバイルデバイスの普及による現代病なんだけど、ここで取り上げているのは明らかにそれとは違う(スマホいじってて周りに気がつかない、とかではない)。北国の人、特に北海道の人は寡黙で我慢強いって言われているから、そのせいかな?とも思ったけれど、青森とか他の街で似たような経験をしたことはない(し、そもそも”一部の傍若無人な振舞いを他の人が我慢している”っていう構図ではないので我慢強さ云々は当たらないように思う)。北海道は広いし、小さなコミュニティで暮らしてた人が多いから、他者の存在に寛容なのかな?とも思ったけれど、札幌は大都市としての歴史が長いのだから農村文化に理由付けを求めるのは誤りだろう。「道民は自分勝手な運転をする」とは聞いたことがあるけど、これも単純に自分勝手なだけなんだろうか(この結論は一番避けなくてはならないように思う)。そもそも、この現象は札幌だけでなく、道民全体について言えることなんだろうか?

誰か、これについて意見・参考文献等お持ちの方がいれば、コメント(もしコメントを閉じた後ならtweet)頂ければ幸いです。

P.S. ちょっと調べたら樺沢のシカゴ日記様が真逆のことを書かれていてビックリした。な、なるほど…

  • ̃Gg[͂ĂȃubN}[Nɒlj

コメント・トラックバック

この記事へのコメント・トラックバックはありません.

現在,この記事へのコメント・トラックバックは受け付けておりません.