前に所属していたラボの教授が今年で退職ということで、昨日その最終講義を聴講してきた。
キャンパスに足を踏み入れただけでトラウマティックな記憶が蘇る。教授や准教授と会っても、互いにかける言葉が見つからない。やっぱり波長が合わないというか、まぁ向いてなかったんだなぁと改めて思う。我慢して在籍していれば、今頃もしかすると博士号を取れていたのかもしれないけれど、全く後悔は感じず…そこまでして肩書き取っても仕方ないし、取ったところでポスドクとか企業戦士とかやっていける柄でもなし。
そんな後ろ向きのことより、これからのこと。いよいよ臨床実習だし、卒後どうするかも考えなきゃいけない。とりあえずは手に職を…という状況にあるので、まずは変に研究者コースに進んだりせず初期研修を受けるのは確定。その後は臨床を続けず、いったんイギリスで学位を取ろうかなぁと妄想。となると、受け入れ態勢や症例の豊富さという面はもちろん、研究職への動きやすさという点でも、大学附属病院で研修をしたほうがいいのかな。
臨床で医療に携わるにせよ、研究室で医学を修めるにせよ、ずっと同じところにとどまることはできない。勤め先の体制や方針にもよるけど、ずっと勤務医を続けることは厳しいし、研究室ではいずれPIになって一線からは退くことになる。個人的には転戦していく生き方のほうが合っているので、それ自体は構わないのだけれど、それでも自分がライフワークとする「軸」は見つけなきゃいけないなぁと思う。言語とか精神疾患とか脳科学とか、たぶんその辺が私の興味の中心なのかなぁ…って予感はしているけど、それを確かめる作業も必要になってくるだろうな。
そう考えると、残り2年の学部生活でやることはいっぱいありそうだ…もっとも、その前に手元の論文をまとめなきゃいけないんだけど。
一緒に留学していた4人でブログをつけていたんだけど、もう帰国して1週間経つし、いろいろ落ち着いたし、そろそろ締めのエントリを書かなきゃなーと思っていたら、別の子が書いてくれた。それはいいんだけど、この一言…
なかなかブログを書けなかった理由は、寝る間も惜しんで研究に専念していたからです。
「他の暇人と違って、アタシだけは更新できないほど忙しかったんです><」アッピル…誰も何も書かない中で、ひとり更新していた私に対してこの言葉か。とはいえ、もともと医学部生なんて負けん気の強い方々のお集まりでいらっしゃるので「まーた始まった」という感じだったりもするけど。
ブログを(特に仲良くもない)他人と更新する作業はなかなか大変だと痛感した。みんな見ている方向が違うので、なるべく4人での共有体験を書いたり、他の子の研究テーマに関係しそうな内容を書い(て投稿を促し)たり、あるいは逆に一般的な(当たり障りのない)現地情勢を書くように努力した。それに、投稿時には「これこれこういうことを投稿するね」って必要に応じて声かけもした。でも蓋を明けてみればこのザマ…ってことで、全く相手には伝わっていなかったし、無駄だったってことでした。
ちょっとずれるのですが、みんなよくFacebookやTwitterにいろいろ投稿できるなぁと感動しきりの日々です。近頃は「ソーシャル疲れ」がビジネスになっているらしくって、「いいね!」をとりあえず全部押しちゃう「どうでもいいね!」というスクリプトやら(ネーミングのネガティヴさが感涙もの)、SNSを一休みする「ソーシャルデトックス」なる言葉まであるとか。そんなくだらねぇこといってる暇あったらSNS辞めれ、って思うんだけど、まぁそうそう簡単に辞められないところがリアルつながりのややこしいところですな。
その一方で、ブログは独立国家状態なので楽ちん素晴らしい、って意見になるほど納得。確かに、リアルの人間関係を気にしないで意見を言えるっていうことこそ、私が続けている理由なんだろうなぁ…きっと。リアルで特定できる情報をうまく伏せれば、かなり際どいところまで書くことが許される(と個人的には思っている)し、Facebookより素直な気持ちを、Twitterより論理立てて書くことができる。ブログなんてとっくに廃れたメディアではあるけれど、考えのはけ口としてはまだまだ最高の手段なのかもしれないなぁ。というわけで
私はブログを続けるよ!!
とはいえ、それはあくまでスタンドアローンなブログの話。リアフレにアドレスを教えてしまったりしたら元の木阿弥だし(というか、そういうコンテンツこそSNSに引っ越したほうが生きるだろう)、さらに運営自体も複数人でやるってなると余計、人間関係がこじれるだけのような気がする。とりあえず、今回のように大学や勤務先から要求される場合はともかく、他人と一緒にブログなんて以後絶対やらんだろうな…
やっと冬学期が終わったけど、最後の一週間は最悪だった。
- 火曜日
朝、電車で寝過ごしたりなんだりしつつ、グダグダの出国。
- 水曜日
帰国 → ポスター作成の続き
- 木曜日
留学生のキャンパス案内とかいろいろ手伝い → 21時に帰宅してポスター印刷 O/N
- 金曜日
グダグダのポスター発表。留学でお世話になった教授に挨拶しなかったら大憤慨。一眼レフカメラを紛失。
- 土曜日
謎の合宿研修。留学生との話は進まず、飲み会でもぼっち。悲痛な気分に。
- 日曜日
謎の合宿研修。ガイダンスの担当が大憤慨された教授だったため、ガイダンス中にめっちゃ弄られる。悲痛な気分に。
- 月曜日
寝起きでなんとかパワポを完成させ、大憤慨された教授にプレゼン。← いまここ
ポスター発表の日に教授にご挨拶しなかったのは、単純に怯えていたっていうのもあるし、徹夜で疲れていたし、特に教授も話しかけて来ないならいいやって思ったんだと思うけど…まぁ失敗だった。当然だよね。いま考えれば、なんで挨拶もしなかったのかよく分からない。いずれにせよ、通り際に震えながら激怒されたときには「終わったな」と思った。実際、来年度からは附属病院長になられるので、実際にキャリア的な意味でも終わっただろう。それでも、まだ面と向かって怒られただけマシなのかもしれないが…いずれにしても、あまり考えないようにしよう。
区切りはきっちりつける方なので、今日は特に厳しい当たりもなかったけれど、それでも敢えて触れないようにしようという意思は伝わってきた。お土産を持参したけれど、特にお土産を買っていない子もいたので、他の子のプレゼントも一緒にまとめて「全員からです」って渡した。もとから関係を修復できるなんて期待していないけど、それでも、他の女子の評価が上がるだけなんだろうな…って思うと、どんだけお人好しなんだよ!って自分でもヘドが出そうになる。それでも、媚びを売ってると思われるよりはよっぽどマシだと思って、自分なりに選んだ結論なんだ。決めた以上は、もう考えないことにしよう。
…とは言っても、やっぱり考えてしまうけどね。まぁ、でも気分は切り替えよう。再試もあるし、CBTやOSCEに向けた勉強もはじめなきゃいけないし。
今日は教育担当の先生に向かって、研究報告のプレゼン。
ちなみに、金曜日のポスター発表は惨敗だった。まぁ、練習をしていないどころか、そもそも英語で喋るのか日本語で喋るのかすら定まってない状態では当然というものだろう。
導入として、問題となっている背景のことと自分の研究の目的について、ざっと1, 2分。方法はできれば軽くすっ飛ばして、実験結果に4分ほど。考察とまとめに2分。これで合計8分くらい…少しは質疑応答の時間が取れるかな?というのが理想らしい。にもかかわらず、実際に喋ってみたら話し忘れることがボロボロ出てきて、その度に話はあっちへこっちへと…結局、方法を話し終わった段階で6分も経っていて、肝心の結果と考察は意味不明な状態に。スピーチ自体は8分ギリギリだったみたいだけど、結局は質疑応答があるから時間オーバー。タイトなスケジュールだったから仕方ないとはいえ、ポスターを前日の深夜に刷り始めてる時点で結果は見えていたんだけど(しかも途中で印刷用紙がなくなり、この年で親に協力してもらって徹夜で紙を切り貼りするというでサイテーっぷり…)
そんな始末だったので、今日のプレゼンでは同じことを繰り返さないと決意。今日は質疑応答を含めて15分の予定だったので、背景2分-方法3分-結果3分-考察3分で計画した。ポスター発表のとき、方法論の説明にかなりの時間がかかることに気づいたので長めにしたけれど、ふたを開けてみたらそれでも短かった…でも一応、時間内ギリギリには終わったので、まぁよしとする。
これがイギリス滞在、最後の遠出。夜行列車「ナイト・リヴィエラ・スリーパー」で、ちょっくらペンザンスまで。
終点まで行くので、乗り過ごす心配もなく安心して寝られる…と思っていたのだけど、ロンドン・パディントンを23.45発、ペンザンスに7.53着ということで、ゆったり過ごすにはちょっと厳しい。朝ご飯、7時って言ってたのに7時前に来たし、実際寝られたのは6時間半くらいじゃないか?さらに「カレドニアン・スリーパー」と違って、到着後はすぐ降りてくださいとのことで、これまた厳しい…
ペンザンスは(早朝だったこともあるけれど)思った以上に何もない、静かな港町。そこから50分ほどバス(1/1A系統)に揺られると、ランズ・エンドに着く。イギリス最西端っていうところだけど、まぁこちらも何もない。まともな標識すらないので、実際どこが最西端の場所なのかよく分からない(さっき地図で確認したら”the First and Last Refreshment House”っていう休憩所の前らしいのだけど、”Lands End”っていう新しくできたテーマパークが手前にあるので、みんなこの辺しかうろついていなかったように思う)
バスの本数が毎時一本未満なので、ここで2時間潰れて、駅に戻ったのは午後1時半。近くにセント・アイブスなどなど、いくつか景勝地もあるのだけど、庭とか自然とか冬にこれ以上見ても仕方ないだろうと…それに、いかんせん凍えそうな天気なので(それでも風は穏やかな日だったらしいけど)諦めて、ぶらぶらロンドンに戻ることに。これがまた旅情を楽しむには厳しかったっていう…
座席に指定券の表示がないから、どこが予約されている席なのか分からず、常に席を追い出される不安感(実際、一度追い出された)。IC125は遅い、揺れる、しかも途中でいきなり車内灯が消える。なんとか窓際を確保したものの、景勝区間(コーニッシュ・リヴィエラ)として知られるダーリッシュ Dawlish 〜エクセター Exeter 間も、冬の荒れ模様ということで、鉛色の空と茶色の海…なんだこれ。
暗くなっちゃったけど、バースにも立ち寄って帰ってきた(何も見られなかったけど)。ダメだ、冬は日照も短いし、寒いし、何もかもが閉まっている…イギリスを旅行するなら、やっぱり夏なんだ。