教員と学生とがいい関係にあればいいよね。

『折田先生を讃える会』ってサイトを見つけて、ニヤニヤ。
まぁ、要するに、毎年受験シーズンになるとイタズラされる銅像の話なんだけど
大学側が生暖かく見守っているところに優しさを感じて、少し微笑ましいなと。

思い返せば、私が以前通っていた学校も、こういう自由な感じがありました。
だけど今の学校は、単科とは言わずとも、専門学校的なところがあるせいか
結構保守的というか、教授陣がお固いなーって思うことがままありまして…
だから、そういう自主性に任せる校風が、ちょっと羨ましくも、また懐かしくもあり。

どういう大学がいい大学なんだろう。難しいな。

以下、今日の大学について徒然語るので、畳みます。

『いまを生きる』という映画を観ました。
原題は”Dead Poet Society”

ボーディングスクールという、エリート寄宿学校の学生たちが
型破りな新任教師に刺激されて、彼が過去に開催していたという詩読会を再結成。
そして、親や教師の言いなりではない、自分の生き方を探していこうとする話。

さすが、ロビン・ウィリアムズ主演…シリアスで重たい!胃が痛い!!
演技は素晴らしいのに、どうしていっつもユーモアに翳が差す映画ばっかなのぜ?

だけど、それよりなにより、なんだか身につまされるような思いがしたわ。
なにせ自分自身、未だに親や世間体から逃れられずに足掻いてますし…。

時には、権威者や有力者の意見に流されないことも必要なのだろうと思う。
私の場合、例えば親や、先輩や、そして教授会にだって。

最近の大学生は(っていうか、昔もそうだったのかもしれませんケド)
親や教員や、あるいは社会の言いなりになっているような気がする。
みんなそれなりに授業に出て、きちんと先生の言うことを守って、
それなりにバイトして、旅行して、就活して、終わり。みたいな。

学生運動の時代や、不良行為みたいのを懐古するつもりは毛頭ない。
そもそも、バイトもせずに二度目の学生生活してる分際で
文句なんて言えた立場じゃねーだろ、って自分でも思う。

でも、正直、これでいいのかにぁ…と思う。

確かに、親や教官の考えは、自分の幼稚な妄想よりよっぽどマシなのが当然だよ。
だけど、その真偽を改めて吟味することは、大学生なら当然じゃないか?
そもそも批判的に検討することは、文理問わず、学問の基礎であるはず。

大学っていうのは、教養を養い、新しい概念を生みだす場所だと思う。

自分で情報を集め、真偽を判断し、考え、自分なりの答えや見方を持つ。
そうやって、市民として判断する能力を身に付けていく場所だと思う。

だから、教員の言うことをハイハイと聞いてばかりではいけない。
レポートに読書感想文やコピペを綴ってはいけない。
きちんと自分で頭を使って、立ち位置をはっきりとさせなければいけない。

そう、思います。

なんか政治とか宗教みたいな文章になってしまいましたが
ずっと思い続けてたことだったので、書いてみました。
というか、セミナーの参考として、何人かのレポートを読んだのですが
いくら後輩にあたるとはいえ、あまりの酷さに絶句したりして、ついつい。

とりあえず、私は大学とはそういう場所だと思っています。
だから、勉強もイラスト部も、なるべく命懸けてやってるっていうか
ある種の悪意さえ持って、風穴開けようと思ってます。
むしろ、大学って、そういうの許される最初で最後の場所でしょ (・ω・)

まぁ、なんだかんだ言ったって、多少は反抗的な生徒も
いずれはちゃんとした大人になるもんなんだよ、どうせ。
…だって、今の東大の教授陣なんて、みんな東大紛争の世代だからね!

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