地震のあとで(個人的な思い出と想い)

気が付けば,地震から半年が経っていた.

つまらないことなんだけど,当時と今の自分の気持ちを整理しておこうと思う.

地震のとき,私は都内の学校にいた.古い建物の5階にある部室にいたんだけど,棚からいろんなものが落ちてきて,廊下のものが倒れてガラスが割れたときには,正直,ここで死ぬんじゃないかと思った.地震のあと,ドアを外から棚が塞いでいるせいで部屋から出られないし,隣の部屋から何かが噴き出すような音が聞こえるし(実はラジオの音だったんだけど…),後から思い返せば大したことじゃないんだけど,その時は本当に怖かったのを思い出す.

秋葉原

都内は駅も商店も全部閉まってしまい,街頭には人が溢れていて殺伐とした雰囲気だった.怖くなって,無謀にも自転車で帰ろうと試みたけれど,逆に郊外には人の気配がなくて,走っても走っても真っ暗で…途中の駅に親に迎えに来てもらうまでは,本当に心細かった.

ちょうど母が仕事で海外に行っていたので,数日後に成田空港まで迎えに行ったんだけど,道中,コンビニに食べ物は無いわ,ガソリンスタンドには長蛇の列ができ始めてるわで,異様な雰囲気が続いていたのを思い出す.東に行けば行くほど,傾いた家や崩れた屋根が目立ってくるし…空港に着いたら着いたで,薄暗い雰囲気だったり,海外の救助隊が来てたり(台湾だと思うんだけど…なんか「屍袋」って書いた段ボールが山積みになってた).

そのあとも,続く余震や原発の影響で,戒厳令下のような雰囲気が続いていた.ようやく最近になって,企業も普段通りになって,外国人も戻ってきて,「日常」が帰って来たなぁと実感する.

阪神大震災の後,村上春樹が『地震のあとで』という連作を書いている.「ほら,日常なんてこんな簡単に破綻しちゃうんだよ?」っていう薄寒い印象のする作品で,私はあまり好きじゃない.でも,遠巻きながらもこうして惨事を垣間見ると,なんかある種の終末感というか,喪失の虚無を心の底から感じる.

まぁ,でも中二病みたいなこと言っててはいけないと思うんだよ…特に首都圏の人間みたいな,本当の痛みを味わっていない人間は.ただ淡々と生きて,必死に日常を生きていくだけ.ただきちんと生き続けることこそ,私たちがすべきこと,私たちにできる唯一のことだろう.

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