旅行の反省文 2 – 心霊写真を撮らないために –

旅先で撮った写真の中に,何も写っていないものが何枚かあった.真っ白になっているのだけど…データ詳細をみると,なぜかそこだけマニュアル撮影にしてしまっていたようだ.日中の屋外だというのにISO6400の高感度で露出時間0.1秒って,そりゃ何も写るわけがないわな.

それでやめときゃいいのに「どの辺りが撮れてないんだろう?」と思ったのが運の尽き.番号を辿ってみると…よりによって古いお墓の写真だった.東南アジアのお墓って,祠のようになっていて,日本や中国とはまた違った構造をしているんだよね.普段だったら歴史的人物のお墓ですらまず撮らない私だけれど,それをどうしても記録しておきたくて撮ったんだよ.そこは観光地のど真ん中だったし,「風景として撮っておくのは許されるだろう」と思ったんだね.

で,よりによってお墓のところが…って思ったら,あらためて削除した画像を掘り起こして,マジマジと見ちゃうわけじゃナイデスカ.そうするとしっかり写っているわけデスヨ.

“こっちを見ているたくさんの眼のようなもの”が.

こんな露出オーバーの写真,意味のある像なんて写ってないことは分かってる.頭では分かっているけど,でもそれって心から納得できるのとは別問題.他にも真っ白になっちゃった写真があるのに,どこかで「お墓を写したからだ!!」と関連付けてしまう自分がいる.そのあと立て続けに起きたトラブルも「何かの呪いじゃないか…?」と怯えてしまう自分がいる.理系でありながら「現代科学には含まれない何かがあるかもしれない」と思っている自分がいる(まぁ,最後まで信じきれるかという意味では,科学ってのもある種の宗教だとは思うわけだが).

夜に気づいたせいもあって,一時はほとんどパニックになりかけた.だけどFacebookで友人に相談できたおかげで,なんとか落ち着ちついた.自分の迷信深さには驚かないけれど,しかしパニックになったときのヒトの思考の狭まり方には改めて驚かされる…人間,ここまで冷静さを失うものなのかっていう(地震のとき以来かな?).

改めて落ち着いて露出補正をかけると,何のことはない,どうも崖のような場所を撮っていて,その影の部分が眼に見えたようだ.でも気になるのだったら,とりあえず写真は取っておけばいい,そして様子を見るのだ…不幸が続いたなら,それは現代科学を根底からひっくり返す発見の予兆かもしれないしね(オカルトからノーベル賞と思えば胸が熱く…ならないか)

でも,ひとまずは反省.お墓の写真は絶対に撮らないことにしよう.結局のところ,私は迷信深いのだから.

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